夢咲音楽館

夢咲すずの日常と雑記

カラオケアカシック【フィクション】

ある日の深夜、私はカラオケに行きたい衝動に駆られて家を飛び出した。

午前2時、寝静まった街。冷たい風に凍えながら歩いていると、遠くから建物の淡い光が見えてきた。あれはきっとカラオケ店に違いない。なぜかそう思った私は心を躍らせ、駆け足でその光の射す方へと向かった。

 

5分ほど走って、やっと光の元へ辿り着いた。そこには見覚えのない建物があった。

「『カラオケアカシック』……?聞いたことないお店だ。うちの近所にこんな隠れスポットがあったなんて……。」

抑えきれないわくわくとほんの少しの不安を抱えつつ、私は入口の扉をゆっくりと開けた。

 

『いらっしゃいませ』

お店の中にはそう書かれた看板が1つ置いてあるのみで、お客さんはおろか店員の姿すら1人も見えなかった。

本当に大丈夫なのか?そう思いつつも看板のあるさらに先へと進む。すると個室が1つだけあった。どうやらこのお店には個室はこの1つだけしかないようだ。

 


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個室にはカラオケの機械が接続された大きなモニター、そしてテーブルの上にはマイクが1本、そしてリモコンとめちゃくちゃ分厚い本のようなものが置いてあった。

恐る恐る分厚い本を開く。数ページ読んだところで私はこの本の正体に気づいた。

「これ……、選曲番号一覧……?」

たしかに、一緒に置いてあったリモコンもテレビのリモコンや電話機のようにテンキー式のものだった。しかし今時そんな面倒くさいシステムを導入するだろうか?少し混乱しつつも私は選曲番号一覧の本を読む。

 

私がこのカラオケの異常さに気づいたのはそれからすぐのことだった。

「え、この曲って……。」

それは動画配信サイトで有名なとある楽曲だった。しかしこの楽曲は作者の意向で販売も商業配信もされていないはずだし、カラオケに追加されるはずもない。

まさかと思い、さらにページを進めると、次から次へと『あるはずのない』楽曲が出てきた。

なんだこれは……、そう思いつつも、一度歌ってみたいと密かに思っていたその楽曲を選曲してみることにした。13桁の番号を入力する。これが面倒すぎる。

 

楽曲名がモニターに映る。そして、いつもスマホで聴いていたあの曲が流れる。私は感動のあまり少し涙が出ていたが、そんなことも気づかずただ夢中でその曲を熱唱した。

最後まで歌いきった私は少し疲れてソファに倒れこんだ。モニターに点数が表示される。

『66点 もっと音程を意識しましょう』

やかましい。

 

「お探しの曲は見つかりましたでしょうか?」

突然背後から聞こえた声に私は驚きの声を上げ、恐る恐る後ろを振り返る。そこにいたのは大きな眼鏡をかけた白髪のお爺さんだった。

「驚かせてしまって申し訳ございません。私はここ『カラオケアカシック』の店長でございます。」

「こちら、サービスのドリンクでございます。ごゆっくりお楽しみにください。」

そう言って赤紫色のドリンクをテーブルに置くと、ゆっくりと静かに立ち去っていった。

 

私はとりあえず動揺した心を落ち着かせるためにドリンクを一口飲んだ。初めて飲む味だったが、なんとなくこれはザクロジュースだろうという気がした。

ザクロジュースを飲んで心も落ち着いた私はその後、4時間ほどカラオケを楽しんだ。

 

普通のカラオケでは歌えないような楽曲をたくさん歌って大満足した私は個室をあとにして、さっきの店長を探した。お代も払わなければいけないし、何より訊きたいことが山ほどある。このお店は一体何なんだ?なぜあの楽曲が収録されていたんだ?

しかし、店長の姿はどこにも見当たらなかった。仕方がないので私は代金として600円を『いらっしゃいませ』の看板の下に置き、お店を出た。

 

帰り道、どうしてもあのお店のことが気になった私はスマホで検索してみることにした。

検索した結果、『カラオケアカシック』というお店は存在しないこと、あの建物があった場所にはもともと古びた民家があり、つい最近取り壊されて更地になっていたことがわかった。

じゃあさっきの建物は……?気になる気持ちはたしかにあったが、それよりも恐怖心の方が上回った私は逃げるように家へと向かって走った。

 

数日後、私は再び『カラオケアカシック』に行ってみることにした。まだ謎が多すぎる上に、こないだの体験はなんだったのか、いまだに何もわかっていない。

道を思い出しながらその場所へ向かうと、そこにはこないだ見たようなカラオケ店の建物はなく、鬱蒼とした空き地になっていた。

 

午前2時、安らかに寝静まった夜の街。凍えるような冷たい風が吹いていた。